歩こ、歩こ!

2013年から毎日(10kmくらい)歩き始めた、54才男です。歩くことの素晴らしさ、健康、その他日々の思いつきなどを書いていきます。

呼吸とは何か?(瞑想における呼吸、その2)

———前回の「瞑想における呼吸」の続き(その2)です。
  (「呼吸とは何か?」、と考える中での書き込みなので、
  もしかすると、「なんか話が難しいね」、と思われるかもしれません。)

瞑想状態というのは、肉体と意識とが溶け合って一つになったような、
両者の深い共鳴状態を生み出すことです。
そして、瞑想中は不思議なことに、深く入るほど呼吸が少なくなっていきます。
しているんだか、していないんだか分からないくらいに
微細な呼吸になってきます。
———しかし、なぜこんなことが可能なのでしょうか?

自分は、絶えまなく寄せては返す「呼吸の循環」とは、
単に、「肉体(物体)の階層だけの循環」ではない、と思います。
意識の最奥から繋がり、そこからやってくる「生命の流れ」、
それが、「肉体(物体)の階層で表れているもの」が、「呼吸」である、と。

前回の話で述べたように、「呼吸」とは、
肉体の「意識的な随意運動」を通じて、
細胞内のミトコンドリアまでが連動する生理的レベルに働きかけ、
全身の生化学的なエネルギー循環の領域に、
エネルギーを直接、送り込むことができます。

しかし、外部世界との絶え間ない「生命エネルギーの循環」、ということで言えば、
「呼吸」による「生化学エネルギーのレベル」よりも、
更に深いところにある、私達の「感情レベル」や「思考のレベル」、
更にその奥にある潜在意識、無意識の領域まで、
連綿と繋がっているものがある、と思います。
「意識や生命エネルギーの流れ」というものは、
無意識の最奥のレベルから繋がって流れ続けているものであり、
「呼吸」とは、そんな深いところから繋がって循環する流れが
「肉体レベルの動き」において、さざ波のように現れているものではないか、
と自分は思うのです。

瞑想状態の中では、意識と肉体が溶け合ったような状態になり、
肉体的には、「ほとんど呼吸していない」ほどの状態になります。
これは瞑想の中で、思考と感情が「無」になることで透明度が増し、
「思考レベルの大脳」と、「感情レベルの中脳」、「無意識レベルの脳幹」、
その全部が「無」の中でカラダと一体になって共鳴するから、だと思います。
だから、微細な呼吸の中でも全身のエネルギー循環が足りるのではないか、
と思うのです。

これは例えば、豊かな水量で滔々と流れる川の水面が、
完全な「凪ぎ」となり、あたかも止まって見えるような・・・、
あるいは、ろうそくの炎が微動だにせず、ピタッと止まって燃焼し、
空間全体に輝きを放つような・・・、
そんな状態ではないかと思います。
しかし内部では、「豊かな生命エネルギー=意識」が、
精妙な透明度とともにフルに巡っているわけです。

全身と、自らが知覚する世界全体に意識が広がって、
どんなわずかなゆらぎも感じ取る状態で、そこにある時・・・。

どんな淀みもひっかかりもなく、全身と意識が「一体・ひとつ」となっている・・・。
思考も感情も、フィーリングも感覚も、心の動きも生理的感覚も、
全てが一体となった状態で、静かに自らの呼吸を感じること・・・。
その中で、呼吸はほとんど止まったような状態になります。
そしてその状態が、意識とカラダの層を統合してバランスを調整・回復し、
生命の秩序と中庸を回復させる営みになるのです。
(———そういう世界を、自分は20代の頃、日々体験していました。)

———いや、でも「呼吸が止まる」んだったら、「深呼吸」とは逆じゃん?
だって、深呼吸は深くたっぷり呼吸することでしょ?

(「その3」につづく)

f:id:arukuno-daisuki:20190928103419g:plain

潮風が肌に気持ちいい!!

●「深呼吸歩き」のやり方はこちら↓

aruko-aruko.hatenablog.jp