歩こ、歩こ!

2013年から毎日(10kmくらい)歩き始めた、54才男です。歩くことの素晴らしさ、健康、その他日々の思いつきなどを書いていきます。

足のことは足に任せておきなさい・・・その3

昔、小話を聞いたことがあります。
あるとき、ムカデが散歩していると、
バッタがムカデを見て、言いました。
「ムカデくん、君はたくさんの足を、よくそんな風に上手に動かせるね。
全くたいしたもんだ。」
ムカデは、
「そうかな。。。」
と、ちょっと得意になって言いました。
バッタは言いました。
「ねえ、そのたくさんある足を、どの足からどうやって動かしているのか、
動かし方を僕に教えてくれないか?」
「ん?、ああ、いいよ。」
ムカデは得意になって答え、そして、
「さて、僕はどうやって足を動かしているんだっけ?」
と考え始めました。
やがてムカデは深く悩み始め、
こんがらがって一歩も歩けなくなってしまいましたとさ。

スポーツで、「イップス」と呼ばれる障害がありますが、
これと似たような側面があると思います。
普通ならごく当たり前にできていたはずの動きが、
精神的なプレッシャーなどのために、全くできなくなってしまう症状のことで、
運動神経抜群の超一流選手にも、時としてそれが起こります。
周りからいろいろ言われたりして、考えているうちに、
当たり前にできていたことが、一体どうやってたんだか
全くわからなくなってしまう、というのはありがちですよね。。。

イチロー選手が言っていました。
日本のプロ野球のコーチはよく、
肩に力が入っているからだめなんだ、肩の力を抜け、と言います。
確かにそれは正しいのだけど、でも肩に力が入っているのは、
実は膝が硬いからなんです、
肩の力を抜くためには、まず膝の力を抜かなきゃならない、
膝が緩まなきゃ、肩の力は抜けないんです。
それを分からないで、肩の力を抜け、って言ったって、できないですよね。
でも、そのことが分かっているコーチは、日本にはほぼいない。。。
―――と。。。

つまり、これが正しい、と頭で考えて、それにカラダを従わせようとするのは、
難しい、ということです。

「歩くこと」のメリットは、
それが、その時々の自分のペースでできる基本的な運動であり、
その時の自分自身の最高の力で、
(つまり、ただ無理せず力まず、できる範囲内で、という意味・・・^^)
人と競うことなく伸ばしていける、ということにあります。

だからこそ、無理なく自然に、等身大のカラダのペースに合わせて、
そして日々の生活ルーティーンに取り入れながら、やっていけます。
「足のことは足に任せておきなさい・・・」―――、というのは、
注意も払わずに放置する、という意味ではないと思います。
自分自身のカラダの声によく耳を傾けて、しっかりと感じ取りつつ、
カラダのペースに寄り添いながら歩く、という意味です。

f:id:arukuno-daisuki:20180810221014g:plain

毎日、暑いですね~。
気分だけでも涼しくなって頂こうと・・・。
北海道の、通称「マイルドセブンの丘」です!!

足のことは足に任せておきなさい・・・その2

その時のその人の筋肉の状態、血流の状態にとっての、
無理ない姿勢や動き方、というものがあります。

たとえば、昨日カカトがしっかり上がって歩けたなぁ・・・、と思って、
カカトを上げて歩こう、などと考えてやってしまうと、
足の裏や足首を痛めたりします。
なので、カラダの動くままに歩いていると、ちゃんと5分か10分後に、
自然にカカトが上がってきたりします。

その時々の自分にとっての無理ない歩き方、というものがあります。
それを知っているのは、自分のカラダ自身です。
私たちの意識できないレベルで、カラダはその時々の状態に合わせて
全身の繊細で複雑なバランスの中で、動いています。
カラダはとても賢いものです。

たとえばカラダをストレッチする時に、カタくてあまり動かない関節があります。
私たちはその時、「その関節が硬い(可動域が狭い)」、と意識します。

でも、関節が硬いとき、硬いのは実は「そこの関節そのもの」ではありません。
その関節の動きに連動する、あちこちの筋肉や組織や内臓etcetcが、
硬いのです。
そして、硬かった原因がどこの筋肉や組織であったか、というのは、
やがてそこが、春の雪解けのように緩み、
それと連動して関節が動き始めたときに、初めて分かるものです。

動かしたい関節が動かないとき、
複雑に絡み合ったカラダの一体どこの筋肉や組織が硬くこわばって、
その関節の動きを阻害しているか、などというのは、
緩んで動いてみるまでは意識できないものです。。。

「緩んで動き始める」、というのは、「カラダのその部分が目覚めるとき」です。
目覚めるからこそ、初めて存在に気づき、意識できるのであって、
目覚めていないときには、その存在にも機能にも、気付くことができません。
これは、何事でも・・・例えば組織の中の人の能力などでも、そうですね。
目覚める、というのは、それまで無かったものが、
意識の中に出現することなので・・・。

カラダの成長や癒しは、私たちの無意識の中で進みます。
だって、細胞分裂したり成長したりって、私たちの知性の作用でも、
意識の能力でもないですから―――。
精子卵子が出会って、肉体や脳を作り上げていくのは、
大自然の力であって、人間の知性にそんな能力はありません。
カラダは、とても賢いのです。

だから、その時々のカラダの動きは、
無意識下でのカラダ全体の状態に沿って、現れているのです。
だから私たちは、カラダの内側から自然に発露されてくるものに、
寄り添いながら進むのが、BESTなペース、進み方だと思います。

だから、「足のことは足に任せておきなさい・・・」、
これが名言で、基本だと思うんです。。。

f:id:arukuno-daisuki:20180810220249g:plain

サンゴ礁の砂浜・・・泳ぎたいっ!!

「足のことは足に任せておきなさい。」←名言だと思います。

「足のことは足に任せておきなさい。」
これ、歩き始めたころに、たまたまネットの記事で見た言葉で、
誰が最初に言った言葉なのかは分からないのですが・・・。

至極、名言だと思うんですよね。。。

            *            *            *

世間では「歩き方」について、いろんな人が実にいろんなことを言っているようで、
脚の使い方とか姿勢とか、いろんな知識やアドバイスがあるみたいです。

かかとを上げて、とか、足の着き方がどうとか、
腰から前に出すとか、足首がどうとか・・・。

いやいや、でもそれは、できるようになる時に自然とできるものじゃないの?
・・・と自分は思います。
そうするのがいいことだ、と頭で考えて、そうしよう、とカタチから入るのは、
やめた方がいいと・・・。

なぜかというと・・・。
カラダには、その時々の状態にとっての動き方、というのがあるんですよね。
たとえば「かかとを上げる」、と言っても、
そのためには足裏の筋肉が柔軟じゃないと無理だし、
足首の硬さ、スネや股関節や腰の後ろ側とか、全部関係していますから・・・。
それらの全体が、バランスよく柔軟に働くようになるにつれて、
かかともだんだんと上がるようになってきます。
(自分の場合はそうでした。。。)

そういうあちこちの変化は、一つづつ起こりますし、
全体のバランスを取りながら少しずつ進みます。
自分でコントロールできることじゃないんです。

歩いていていつも感じるのが、歩き始めと最後の方の違い・変化です。
歩き始めはカラダもカタイし血流もめぐってないので、
前日には当たり前にできていた動きが全然できなかったりします。
15分くらいたつと、呼吸も深くなり血流もよくなり、
カラダがのびのび動き始めて、
歩き始めとは、動きがまるで変ってきます。

そういうカラダのペースに合わせてカラダを動かすことが大事です。
かかとを上げて歩こう、とアタマで考えてやろうとすると、
筋肉の準備ができてなくて、傷めたりします。(経験者は語る…それは私です。^^)>

姿勢などでもそうですよね。
しゃんと背筋をのばした姿勢が理想的で、体の負荷もかからないんだ、
というのは、半分正しくて、半分嘘です。
怪我をした人や高齢者がそれをできないのは、
それをすると、硬くなった筋肉にひどい負荷がかかるからです。

自分の場合でも、背筋伸ばせったって、それを続けるのは全く不可能でした。
でも、最近少しずつ、自然に姿勢が変わってきている気がします。
毎日歩くことで、特に最近の骨盤周りで起きている変化とともに、
インナーマッスルが鍛えられて、姿勢に影響してきているんだと思います。

ってことは、歩くことでカラダが内側から立て直されて、
筋肉、骨格の変化とともに姿勢に影響し始めているんですね。。。

・・・歩くって、すごい。。。

その時のその人の筋肉の状態、血流の状態にとっての、
無理ない姿勢や動き方、というものがあります。
その時々の自分にとっての無理ない歩き方、というものがあります。
それを知っているのは、自分のカラダ自身なんですよね。。。
それに沿いながら、カラダの内側から、自然に発露されてくるのが、
その時のBESTなペース、進み方だと思うんです。

だから、「足のことは足に任せておきなさい・・・。」、
これが名言で、基本だと思うんです。。。

同時にもちろん、もっと良くなっていきたい、
という気持ちもあるんですけどね。。。

僕の場合は、とにかく歩きながらの深呼吸が、とても効果的です。
(↓ここに書いたやり方です。)

aruko-aruko.hatenablog.jp


それによって、どんどんカラダが元気になっていき、
歩くこととの好循環が起こります。
カラダや元気が蘇生し、動くことの気持ちよさを感じられます。
まあホント、この6年でカラダは激変しましたし、
今もなお、53才にして変わり続けています。

これから更に、どんな風に変わっていくのか楽しみです!!

f:id:arukuno-daisuki:20180723233831g:plain

歩こ、歩こ!…わたしはーげんき~~!!
(今日は各地で歴代最高の気温を更新したっちゅーのに、
何もこんな暑そうな絵を載せなくても…。ちょっと反省。。。)

身体が変わるのは、ちょっとずつ、一つづつ・・・。

今日は身体の変化について、書きます。
毎日歩き始めると、身体は少しずつ変化してきます。
僕も6年歩いている間に、本当に劇的に変わりました。
でも、身体は急に変わってはくれません。
ちょっとずつ、ゆっくり時間をかけて、でも確実に変わってゆきます。
そして、変わるのは段階を踏んで「一つづつ」なんです。

あっちが変わった、と思ったら、今度はこっち・・・、と、
ちょっとずつ、たっぷりと時間をかけて変わっていきます。
なぜ時間がかかるか、というと・・・。
身体の変化って「植物的なプロセス」だから、なんですね。

私たちの肉体には、動物的なプロセスと植物的なプロセスがあって。
思ったように身体を動かすこと、つまり、その時々の「動き(活動・行動)」は、
動物的プロセス。
それに対して、細胞分裂とか、皮膚や筋肉組織や骨などの変化・成長などは、
植物的なプロセスです。
そしてまた、肉体っていうのはものすごく複雑な組織が連動しつつ、
全体がバランスを取っているので・・・。
少しづつ、一つづつ、バランスを取りながら、順番に・・・です。
―――それがまたいいんですけどね。。。

身体が変わるときって、最初はたいてい、
ちょっと調子が崩れる感じが起こるんです。
それまでの身体が持っていたクセやバランスから、
新しいバランスへと変化し始めるので、
一時的にその周囲との協調性やバランスが崩れるのですよね。
それまで使っていなかった筋肉や組織が動き出すので、
あるいはそれまでとは違った動き方や力のかけ方をし始めるので、
違う負荷がかかってシンドイわけです。
でもそんな時って、実は身体が新しい動きや成長を起こしている時、
だったりします。
そして、やがていつの間にか乗り越えて、力強く元気になっています。

なので、なんかしんどいな、と感じる時は、
おっ、筋肉君、成長しているな、と思って、
無理をせず見守ってあげるのが大事です。
押しすぎず、でも止めることもせず受け止めて、
自然なプロセスに任せて見守りつつ、「続けること」です。
すると、自然に身体の方が成長して、乗り越えていきます。

f:id:arukuno-daisuki:20180716081550j:plain

↑トトロのメイちゃんを意識しつつ、
描きました~!!(^^;;)> 

身体が変わるのは、ちょっとずつ、一つづつ・・・。

さて、今日は身体の変化について、書きます。
毎日歩き始めると、身体は少しずつ変化してきます。
僕も6年歩いている間に、本当に劇的に変わりました。
でも、身体は急に変わってはくれません。
ちょっとずつ、ゆっくり時間をかけて、でも確実に変わってゆきます。
そして、変わるのは段階を踏んで「一つづつ」なんです。

あっちが変わった、と思ったら、今度はこっち・・・、と、
ちょっとずつ、たっぷりと時間をかけて変わっていきます。
なぜ時間がかかるか、というと・・・。
身体の変化って「植物的なプロセス」だから、なんですね。

私たちの肉体には、動物的なプロセスと植物的なプロセスがあって。
思ったように身体を動かすこと、つまり、その時々の「動き(活動・行動)」は、
動物的プロセス。
それに対して、細胞分裂とか、皮膚や筋肉組織や骨などの変化・成長などは、
植物的なプロセスです。
そしてまた、肉体っていうのはものすごく複雑な組織が連動しつつ、
全体がバランスを取っているので・・・。
少しづつ、一つづつ、バランスを取りながら、順番に・・・です。
―――それがまたいいんですけどね。。。

身体が変わるときって、最初はたいてい、
ちょっと調子が崩れる感じが起こるんです。
それまでの身体が持っていたクセやバランスから、
新しいバランスへと変化し始めるので、
一時的にその周囲との協調性やバランスが崩れるのですよね。
それまで使っていなかった筋肉や組織が動き出すので、
あるいはそれまでとは違った動き方や力のかけ方をし始めるので、
違う負荷がかかってシンドイわけです。
でもそんな時って、実は身体が新しい動きや成長を起こしている時、
だったりします。
そして、やがていつの間にか乗り越えて、力強く元気になっていきます。

なので、なんかしんどいな、と感じる時は、
おっ、筋肉君、成長しているな、と思って、
無理をせず見守ってあげるのが大事です。
押しすぎず、でも止めることもせず受け止めて、
自然なプロセスに任せて見守りつつ、「続けること」です。
すると、自然に身体の方が成長して、乗り越えていきます。

歩き始めて6年目…、どうやら骨盤が変化し始めてるような……ワォ!

 

先日、「昔、カラダが変わるには7年かかる」、と言われた話と、
確かに今6年目だけど、今だに大きく変わり続けている、、、
っていう話を書きました。

今日はそれについて、どんな風に変わっているか、を少し・・・。

自分の場合、多分今、骨盤の位置が変化し始めているんじゃないか、
と思います。
そんな感じはここ半年ぐらいあったのですが。
(いや、変化の兆候はもっと前から始まっていましたが・・・)、
しかし今日、やっぱりそうだ、という感覚を強く感じました。
なんだか今日は、自分の姿勢が変わり始めているのを自覚しました。

カラダの変化って、順序としては、最初は表面から始まって、
だんだんと根本的なところ、土台の方のへと進んでいくみたいです。
(―――自分で経験してみて、そうでした。)
今までも、まー本当にあっちこっち、ちょっとずつ変わり続けてきて、
そのたびに、もちろん初めての体験ですので、
はー、こうなるのかぁ・・・、という感じでしたが。。。

この骨盤が変わるっていうのは、多分今までの変化の中では、
一番深いところが動き始めている変化かも・・・、って気がします。
(少なくとも、筋肉や骨格系に関する限りは・・・。)

「骨盤が変わる」、って言葉で言っても一言で済んじゃうし、
「ふーん、だから何?」、って感じかもしれませんが・・・。(笑)
骨盤って、脊髄の一番土台にあって全身を支える骨格ですよね。
だから、それが変わるっていうためには・・・、
それに付随して変化するための筋肉や組織の量が、
まーハンパなく多いんですよ。。。
全身の、とんでもなくたくさんの筋肉やら関節やら・・・、
(そして多分内臓やら循環系やら)が、全部関わっているみたいです。

だから、これは到底一朝一夕で変わるようなものではなかったなー、
ということが分かります。(あくまでも「自分の場合」、ですが・・・。)
(もっとも自分の場合、最初がヒドかったからなー、というのもありますが。)
カラダって、本当にあっちこっちが深く連動しているんですよね。

ちなみに、カラダのどこか(筋肉など)が変わり始めるときって、
それまで眠ってて全く意識してなかったところが、
目覚めて動き始めるようなプロセスなんです。
冬にずっと凍っていた雪が、
春になってゆるんで解け始めるような、そんな感じ・・・。

たとえば、朝っばらから起こされたときって、最初しんどかったりしますよね。
まだ半分寝てるので、体も動かなくて、ぼーっとして反応も鈍くて、
動くのがしんどかったりしますよね。
そんな感じが、体の変化が起こっている部分で起こるんです。

毎日歩いている中で、「ありゃ、なんかここ最近しんどいなぁ・・・」、
となってる時は、たいてい「新しいカラダの変化の起き始め」で、
どこかが変わり始めている時だったりします。
そして、往々にして軽く筋肉痛になったりトラブルが起きたりします。
「歩く」っていう簡単な動作のようですが、
カラダにとってはものすごいチームプレイで、あちこちが連携・連動しています。
で、そのチームプレイに新メンバーが、寝ぼけつつ参加してくるわけです。(笑)
それは、一緒に活躍するポテンシャルを持ってる頼もしいメンバーで、
すばらしい援軍なわけですが・・・。

でも、それまでと違った動きのフォームがカラダに立ち上がり始めるので…。
(筋肉の使い方の変化で足の動き方が変わったり、
体の姿勢や重心が、なんかちょっと変わってきたりするんですね・・・。)
一時的にバランスも崩しやすい時であり、
新しい負荷がかかって怪我もし易いんです。
特に新メンバーは、まだ目覚めかけで半分寝てるので。(笑)
そんな時は無理せず、新しいメンバーに少しやさしく配慮するといいと思います。

ちょっとオーバーなことを言えば、赤ちゃんがハイハイから立ち上がる時、
のようなものですね。
まぁ、それは人間の成長にとってあまりにも大事件過ぎますが、
でも原理的には同じようなことが、細かい筋肉などに起こっているんです。
カラダがもともとポテンシャルとして持っていた自然の力や動きが、
内側から目を覚まして立ち上がってくるプロセスですので。

その動き始めた筋肉なり組織なりが、しっかりと立ち上がって安定し、
肉体の連携動作(チームプレイ)の中にしっかり根付き、馴染んでしまえば、
全体と一つになって、意識されることもなくなるのですが・・・。
その代わり、より逞しく、生き生きと自由になったカラダ全体の、
よりダイナミックな活力を感じるでしょう。

そういったプロセスが、
この6年の間、体中で数え切れず起きてきました。
その全部の積み重ねがあって、今、ついに骨盤に来てるなぁー、と思います。

今日は、なんだか歩きながら、背中が真上に向かってしゃーーんと、
まっすぐ伸びるパワーが、内側から出てくるんです。
でも、それを支えるための今までと違った筋肉を、いろいろ使うことになるので、
楽ではなかったりもするんですが・・・。
でも多分、だんだん慣れて、いつの間にか筋肉も鍛えられて、
骨盤とか脊髄を筋肉がしっかりと支える「新しい動きのバランス」へと、
カラダがシフトしていくのでしょう…。

こういうのは、なってみて初めて分かる感じで。
それまでは、そんな感覚が起こるとは予想だにしてないので・・・。
いやホント、ただ毎日歩き続けてるだけで、いろんなことが起こります。

いやー、歩き続けてよかったわ・・・、と相も変わらず思っているこの頃です。(笑)

f:id:arukuno-daisuki:20180716081550j:plain

歩くことで「身体がもともと備えている、めぐる生命力の美しさ」が現れる…それは「快!!」

(・・・前回のつづき)
スポーツ競技は、それぞれ独自のルールや技術を身に着けて、
その中で人との優劣を競うもの―――。
そこにゲーム性の楽しさ、そして様々なドラマが生まれ、
それを共に体験して味わう素晴らしさがあるわけですが・・・。

でも、「歩く」、というのはそれとはちょっと違う。
「歩く」というのは、呼吸などと同じように、
生きている中で誰もがする基本的な動きです。
―――生まれた子犬や小鹿が、やがて立ち上がることが、
持って生まれた自然の姿の現れであるように、
人間の赤ちゃんとして立ち上がり、そして歩き始めることは、
人間の身体の自然の設計として、生まれつき備わった能力です。
そして、その当たり前の「動き」を
日々しっかりと「動かす」ことで、
身体本来の、潜在的に持っている力が立ち上がってくる・・・。
それが基本だと思います。

―――だからこれは、スポーツの技術を身に着ける、
というのとは次元が違う、と思うわけです。
親や先祖から受け継いで、人間の身体にもともと自然に備わった力。
だって、身体そのものが、そういう風にできているわけですから。

私たちが現代のように机に座り、
車や電車で移動する生活を本格的に始めたのは、
せいぜいこの50年くらいのものでしょう。
ですが、人間の二足歩行の歴史は、数百万年!!
それこそご先祖様が(笑)、大自然の中で営々と生き抜く中で、
骨格、たくさんの筋肉、臓器などとともにバランスよく育くまれ、
DNAにしっっっかりと刻まれた、誰もが持つ肉体本来の機能です。

だから、その,肉体の全ての骨格や臓器やたくさんの筋肉が、
まさに「歩くこと」によって目を覚まし、息を吹き返し、
本来のあるべきカタチで立ち上がってくる・・・、
自分で日々歩いていて、そう感じます。

そうだとしたら、それをちゃんと発揮して、
その本来の姿を現わしてあげなきゃ、身体かわいそうじゃん?、
と思いました。
せっかく自分自身のものとして備わった、
身体本来の力なんだもの・・・。
何か、わざわざ会得する技や専門能力ではなくて、
赤ちゃんが立ち上がって歩きだすように、それは
もともと持って生まれた、身体の自然の姿なんだもの・・・。

先祖から受け継いだこの身体は、
歩くことで、様々な筋肉や骨格、
呼吸・血液の循環や内分泌ホルモンの働きを目覚めさせ、
人間としての自然な健康体を発現していくんだと思うんです。
少なくとも、歩くことはそこに重要な影響を与えている、
と思います。

親とかご先祖から受け継いだ身体の健康なパワーを立ち上げて、
しっかり表現しなきゃ、親やご先祖に申し訳ないなー。
なーーんて、日々歩いて
身体がみるみる蘇っていくのを実感するときに、
そんな思いがふつふつと沸き起こったりしました。
いやー、こりゃぁ現代人、
みんなもったいないなぁ・・・、とも。。。
(だから、それをブログに書いて表現しよう、
と思ったわけです。。。)

そして、身体に生命力がめぐるのは「気持ちがいい・・・!!」。
そこには、「快」があります!!
その感覚を僕は、この6年、歩くことを通じて味わっています。

身体って、もともと素敵なもんじゃないですか。。。
野生動物の姿が、生命力の自然な美しさを持つように・・・。
身体ってもともと綺麗だし、素晴らしいと思うんですよね。。。
その、「身体が備えている、めぐる生命力の美しさ」みたいなのが、
歩くことを通じて現われてくるんです。。。
その、蘇り、立ち上がってくる生命力の感覚は、
ほんっっと、「快」ですよ!!
自分の身体が、歩く動きや、足はもちろん全身をめぐる活力が、
歩くうちにだんだん湧きあがり、
快活にのびのび歩けるようになってきます。
もしかすると「ちょっとナルシスムが入ってるかも」…ってくらい、
その快活な生命力が、心地よいです。

・・・そんな感覚を味わっています。
持って生まれた「自分」をしっかり立ち上げればいい、
そこに、生命としての自然な美しさがあるから・・・。
そんな感覚を、きっと実感して頂けると思います。