歩こ、歩こ!

2013年から毎日(10kmくらい)歩き始めた、54才男です。歩くことの素晴らしさ、健康、その他日々の思いつきなどを書いていきます。

呼吸とは何か?(瞑想における呼吸、その3)

———前回の「瞑想における呼吸」の続き(その3)です。

———いや、でも「呼吸が止まる」んだったら、「深呼吸」とは逆じゃん?
だって、深呼吸は深くたっぷり呼吸することでしょ?

はい、でもポイントは「止まること」、ではなくて、
「川面の凪」や、「ピタッと止まったろうそくの炎」の内部には、
豊かに循環し、燃焼し続けている「内部エネルギー循環がある!」、
ということです。

私達が「深呼吸」をするとき、そこでは単に「酸素を吸収する」だけでなく、
「内部の豊かな生命エネルギー」を一緒に
一呼吸一呼吸、受け取っているのだ、と思うのです。
「呼吸」とは、そういう奥深いレベルにまで繋がる
絶え間のない「生命エネルギー循環」の入口にあって、
意識のレベルと肉体のレベルとを繋ぐ架け橋、
となっている活動だと思うのです。

「物理的な肉体運動による酸素吸入」、というだけでは語れない深さが、
「呼吸」、というものの根底にはあるよね、・・・・・と。

だからこそ、「日々、生き生きと豊かに呼吸する」ことは大事であり、
「深呼吸歩き」を通じて、それを日々育てることができれば、
私達にとってその先に繋がる大きな可能性がある、と思います。

国連のWHOが定める「健康の定義」に、
Body, Mind, Spirit の最後のSpiritを入れるか入れないかで、
いろいろ議論があったと聞きますが、
人間の健康は、カラダ・ココロ・魂との生き生きした調和にあるわけで・・・。
そういう観点からも、日常のルーティーンに取り入れられる活動として
「深呼吸歩き」は優れている、と思うのです。

      *      *      *
しかし、ここからズッコケ話になりますが・・・。
自分の20代の頃の瞑想体験の話なども書きましたので、
あれ、意外とひょっとしてこの人、なかなかスゴイ人なのかな?、
・・・と思われた方が、いらっしゃるかも知れません。
が、残念ながらそのご期待には沿えません。(笑)
自分はその後、いろいろ人生やら現実の波にもまれて、
当時の瞑想状態をすっかり忘れ果て、ボロボロになってしまいまして。
一人で瞑想することも全然できないような状態になっていたのが、
7年前だった、———というオチが付きます。(笑)

そんな状態の中、(20代のように、瞑想中心の生活をするような
環境にもない中)、「深呼吸歩き」、を始めた、というわけです。
で、続けてみると、なんだか劇的に良くて、(まだまだですが)、
どうやら「人生の劇的立て直し」になりつつあるようなので、
「これはとにかく書かなくては、伝えたい!!」、と、
このブログを書き始めた次第なのです。(・・・♪チャンチャン!)

(以上、「瞑想における呼吸」、終わり。)

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●「深呼吸歩き」のやり方はこちら↓

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呼吸とは何か?(瞑想における呼吸、その2)

———前回の「瞑想における呼吸」の続き(その2)です。
  (「呼吸とは何か?」、と考える中での書き込みなので、
  もしかすると、「なんか話が難しいね」、と思われるかもしれません。)

瞑想状態というのは、肉体と意識とが溶け合って一つになったような、
両者の深い共鳴状態を生み出すことです。
そして、瞑想中は不思議なことに、深く入るほど呼吸が少なくなっていきます。
しているんだか、していないんだか分からないくらいに
微細な呼吸になってきます。
———しかし、なぜこんなことが可能なのでしょうか?

自分は、絶えまなく寄せては返す「呼吸の循環」とは、
単に、「肉体(物体)の階層だけの循環」ではない、と思います。
意識の最奥から繋がり、そこからやってくる「生命の流れ」、
それが、「肉体(物体)の階層で表れているもの」が、「呼吸」である、と。

前回の話で述べたように、「呼吸」とは、
肉体の「意識的な随意運動」を通じて、
細胞内のミトコンドリアまでが連動する生理的レベルに働きかけ、
全身の生化学的なエネルギー循環の領域に、
エネルギーを直接、送り込むことができます。

しかし、外部世界との絶え間ない「生命エネルギーの循環」、ということで言えば、
「呼吸」による「生化学エネルギーのレベル」よりも、
更に深いところにある、私達の「感情レベル」や「思考のレベル」、
更にその奥にある潜在意識、無意識の領域まで、
連綿と繋がっているものがある、と思います。
「意識や生命エネルギーの流れ」というものは、
無意識の最奥のレベルから繋がって流れ続けているものであり、
「呼吸」とは、そんな深いところから繋がって循環する流れが
「肉体レベルの動き」において、さざ波のように現れているものではないか、
と自分は思うのです。

瞑想状態の中では、意識と肉体が溶け合ったような状態になり、
肉体的には、「ほとんど呼吸していない」ほどの状態になります。
これは瞑想の中で、思考と感情が「無」になることで透明度が増し、
「思考レベルの大脳」と、「感情レベルの中脳」、「無意識レベルの脳幹」、
その全部が「無」の中でカラダと一体になって共鳴するから、だと思います。
だから、微細な呼吸の中でも全身のエネルギー循環が足りるのではないか、
と思うのです。

これは例えば、豊かな水量で滔々と流れる川の水面が、
完全な「凪ぎ」となり、あたかも止まって見えるような・・・、
あるいは、ろうそくの炎が微動だにせず、ピタッと止まって燃焼し、
空間全体に輝きを放つような・・・、
そんな状態ではないかと思います。
しかし内部では、「豊かな生命エネルギー=意識」が、
精妙な透明度とともにフルに巡っているわけです。

全身と、自らが知覚する世界全体に意識が広がって、
どんなわずかなゆらぎも感じ取る状態で、そこにある時・・・。

どんな淀みもひっかかりもなく、全身と意識が「一体・ひとつ」となっている・・・。
思考も感情も、フィーリングも感覚も、心の動きも生理的感覚も、
全てが一体となった状態で、静かに自らの呼吸を感じること・・・。
その中で、呼吸はほとんど止まったような状態になります。
そしてその状態が、意識とカラダの層を統合してバランスを調整・回復し、
生命の秩序と中庸を回復させる営みになるのです。
(———そういう世界を、自分は20代の頃、日々体験していました。)

———いや、でも「呼吸が止まる」んだったら、「深呼吸」とは逆じゃん?
だって、深呼吸は深くたっぷり呼吸することでしょ?

(「その3」につづく)

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潮風が肌に気持ちいい!!

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呼吸とは何か?(瞑想における呼吸、その1)

呼吸とは、とても奥が深いものだと思います。
———呼吸とは、意識と深い関わりがあるからです。

自分は「呼吸」について考える時、
若いころに打ち込んだ瞑想なども、思い出します。
実は、かつて20代のころ、2年ほど瞑想に打ち込んで、
それを中心にした生活を送った時期がありましたので・・・。

今日の話は前回の続きですが、呼吸について本気で深く考えるとなると、
どうしても内容が、抽象的・感覚的な洞察の領域に突入してしまいます。
今日書く内容のような分野は、賛否がある領域であることは承知しており、
万人にとっての一般的な健康法としてすばらしいもの、として、
この「深呼吸歩き」を、誰にでも分かり易く書いていこう!、
と思っていた意図からは、今日から数回の書き込みは、
若干外れてしまうかも、なのですが・・・。

でも、「深呼吸歩き」と銘打って本気で考えるなら、
やはりあらゆる可能性を排除せず、なんでもアリで考え、
そして表現していこう、と思いました。
今日の書き込みの内容は、
いわゆる科学的に確立された領域からは、少々はみ出します。
しかし「呼吸」というものの本質や、
そこにある可能性を深く考えるときには、
やはりどうしても外せないように思いました。
人によっては、「なんか話が難しいね」、
と思われるかもしれませんが、
その時は読み飛ばして下さい。
(長くなりましたので数回に分けます・・・今日は「その1」です。)

      *      *      *
呼吸とは、とても奥が深いものだと思います。
———呼吸とは、意識と深い関わりがあるからです。

例えば瞑想者が、じっと静かに呼吸しているとします。
物理的には、ただじっとしているように見えます。
でも、ただ動いてないだけなら、ただの固まりで、ただの物体ですよね。
そこには意識が宿っていないわけです。

しかし瞑想状態というのは、意識が全身に行き渡り、
最も敏感になっている状態のことです。
肉体の感覚、そして意識全体に、深く耳を澄ませることを通じて、
静けさの中で、肉体と意識とが溶け合って一つになったような、
両者の深い共鳴状態を生み出すことです。

そして、瞑想しているときというのは、(自分も体験していましたが)、
不思議なことに深く入るほど、呼吸が少なくなっていきます。
しているんだか、していないんだか分からないくらいに
微細な呼吸になってきます。

「呼吸」について考える時、自分の場合、この体験のことも思い出します。
しかし、なぜこんなことが可能なのでしょうか?

(「その2」につづく)

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こんなところを歩いたら気持ちいいだろうなぁ・・・!

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「呼吸」とはミトコンドリアまで連動した循環運動・・・

呼吸とはとても奥の深いものだと思います。
前回は、「呼吸」というものが、身体を動かしたりご飯を食べたり、
という、意識的な行為としての「随意運動」と、
心臓の鼓動・血流や神経伝達・脳波や発汗や各種内蔵の動きのような
無自覚な生理的レベルの「不随意運動」との中間に位置し、
両方の性質を持つ、という話でした。
(今回は、その続きからです。)

      *      *      *
———ちなみに、生理現象の「生理」という言葉は、
生命の「生」に、「理」(ことわり、原理、秩序、しくみ)、と書き、
生命の「原初的なレベル」(生物的レベル)で機能している秩序のことです。
細胞の成長とか、内蔵の動きとか、発汗とか、血流とか、神経伝達とか・・・。
「生理的レベル」とは、私たちが持つ、
生き物としての根源的な運動やシステム・現象の領域のことです。

この領域は、私たちの気まぐれな気分で左右できたら、
生命の維持にしょっちゅう支障を来たす(笑)ことになるので、
基本的には「不随意筋による自動運転」、になっているわけです。
生命の根幹部分なので、生まれたときには
既に出来上がっているものが多い、と思います。
「呼吸」とは、そういう生理的な性質を、確実に備えていると思います。

今、もしカラダが目一杯、深呼吸できる状態にあるなら、
実際に思いっ切り深呼吸してみると感じられるかと思いますが・・・。
  (※———↑イヤ、実はできない状態の時って多いんですよ!!
  自分も7年前の歩き始める前は、確実に無理でした。(笑)
  お風呂に浸かってゆったりした時など、いいかもしれません・・・。)
その深い呼吸に合わせて、全身の血管、毛細血管、リンパまでが、
———打ち寄せる波が、磯の岩礁のあらゆる隙間に入っていくように、
あるいは潮の満ち干が、すべての港や大小の川にも押し寄せるように、
全身に血流の圧を届けるのを感じられるのではないでしょうか。
これが、「ひと呼吸」の循環の力です。
「呼吸」とは、その「ひと呼吸ひと呼吸」によって、
エネルギーを全身にくまなく届ける、
生理レベルのエネルギー循環のエンジン、原動力となっているわけです。

そして「呼吸」において酸素をエネルギーに変えるのは、
各細胞が内部に持つミトコンドリアの活動です。
これも、呼吸する生物の全てに共通するメカニズム、となっており、
人間の60兆の全身細胞、その全てに共通するメカニズムです。
つまり、呼吸とは「一つ一つの細胞レベル」のエネルギー循環運動であり、
一呼吸一呼吸が、細胞内のミトコンドリアまで連動した循環運動、
となっています。
つまり、肉体で呼吸の影響を受けない器官や組織はない、と言えます。
(脳細胞が顕著に影響を受けるのは、言わずもがなです・・・。)

1分くらい息を止めて、ぱっと呼吸すると、立ちどころに復活するのは、
呼吸が血液循環に乗っかって、全身細胞にエネルギーを届ける
即時的な循環運動であるから、だと思います。
きっと各細胞のミトコンドリアたちが、「やっと来たぞー!!」、
「はーもうダメかと思ったぜー!!」と、活発に動き回っていることでしょう。(笑)

      *      *      *
つまり「呼吸」とは、私達の意識的な運動、行為・行動が、
生命維持に直接関わる生理的レベル、無意識の奥深いレベルと
直接連動している運動機能、となっており、
その「生命の奥深い無意識レベルにダイレクトに働きかけられる活動」、
となっているわけです。

———こりゃ、「呼吸」が、奥が深いわけですよ。。。

座禅(ヴィパッサナ)でもヨガでも、気功法でも太極拳でも・・・、
あらゆる精神的な伝統において、呼吸は基本ですものね。。。
つまり呼吸とは、そういう意識の奥深い領域に、
ダイレクトに働きかけられる入口の「意識的運動」、となっているわけです。

「呼吸」が、「随意筋の運動」と「不随意筋の運動」の中間にあり
「独特な位置」を持つ、と述べたことの意味が、これです。

「呼吸」とは、「随意筋による意識的な活動」によって、
生理的レベルに直接働きかけられる「運動領域」、
となっているわけです。

(つづく)

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今日も伸び伸び、気持ちよく!

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「呼吸」とは、随意運動と不随意運動の中間に位置する活動

呼吸とは、カラダがこの世に生まれた瞬間からやり続けていることです。
それは、何も自覚していない赤ちゃんの状態から、
身体が自動的に、片時も休まずにやっている、という意味では、
生理的な運動、に近いです。
呼吸というものが、深い睡眠中でも休まず続いている運動である、
ということは、私たちが意識的に行っている行為ではない、ということです。
・・・にも関わらず、呼吸は「意識して行う」こともできます。

そう考えてくると、「呼吸」というのは身体の運動の中で、
かなり独特な位置にある運動だ、と言えます。

―――何が「独特」なのでしょうか?

例えば同じ生理的なレベルの運動でも、心臓の鼓動等の場合、
その動きを自分の意志でコントロールすることはできなません(・・・普通は。)

  実はこう書いたところで、そういえば本気でしようとトライしたことはないなぁ、
  ちょっと試しにやってみっか、とそっちに意識を向けてみたのですが・・・。
  なんだか強く鳥肌が立って、「やめとけ!」、という感覚が来ました。(笑)
  ぞわっっと、強い感覚と鳥肌で、しばらく余韻が続いてびっくり・・・。
  心臓の動きっていうのは、顕在意識が「コントロールする」ようなものではなく、
  感じ、見守り、いとおしみ、身体さんありがとう、
  と感謝するものなのですよね、———きっと。(笑)
  身体全体の繊細な調和に基づいている動きに、顕在意識が手出しする、
  なんてのは、分不相応なでしゃばりなことなんで、
  「やめんかいっ!」、という反応が来たのでは・・・?!
  ———そんな感じでした。(笑)

しかし「呼吸」の場合は、自分の意志で、
そのスピードや深さ、タイミングなどを自在にコントロールできます。
生まれた時から、睡眠中も含めて片時も休まずに機能しており、
止めたらすぐに死んでしまう、という点では、
心臓や脈拍の動きと同じ「無意識の生理的な運動」でありながら、
かつ、「自分で自覚して、意識的にコントロールできる運動」、
であるところが、「独特な位置にある運動」、なわけです。

  ※———それともう一つ、「独特な位置」にある要素としては、
  その絶え間ない循環活動が、「外気を取り込むこと」、
  つまり「絶え間ない外部との物理的な循環運動」、
  となっていることもあります。
  これは、心臓・血液循環系を始め、あらゆる生理的な循環運動が、
  内部だけの循環運動となっていることと比べて、
  「呼吸」だけが持つ特徴、と言えると思います。

つまり「呼吸」というものは、
食事したりカラダを動かしたり、という私たちの日常の「随意運動」と、
心臓の鼓動や血流や神経伝達や脳波や各種内臓の動きのような、
無意識下の生理レベルで行われている「不随意運動」との、
丁度中間に位置しており、
その両方の要素を同時に含んでいる運動、となっているわけです。

(つづく)

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イヤ、寒いよな、この格好は・・・。(笑)

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深呼吸の目的は、「酸素をたくさん取り入れる」ではない・・・?!(その3)

ここから更に深く、呼吸について考えてみたいと思います。
深く考えるきっかけになったのは、
過呼吸」(血中に酸素を送り込みすぎること)はカラダを強くしない」、
ということをアメリカのスポーツ研究者・科学トレーナーが
最新の研究として書いているのを目にしたことです。

「呼吸して、酸素をたくさん取り入れることが効いている」、
と、それまで素朴に考えていた自分にとっては、
これは虚を突かれた感がありました。

今日のスポーツ科学では、
現代のアスリートは呼吸し過ぎでカラダを弱めている、
ラソンランナーであっても、鼻呼吸によって呼吸量を押さえるべきだ、
そのことが、カラダに耐性を作り、結果(タイム)にも繋がる、
という、「科学的データに裏付けられた主張」もあるようです。
どうも、単純に「呼吸量」が多いほど良い、たくさん呼吸すればよい、
というものでもないようです。

それで、「深呼吸歩きについて書いていこう」、
と思っていた自分としては、「ここはしっかり考えとかなきゃいかん」、
と思ったのがきっかけです。

      *      *      *
自分は、「ただ歩く」だけでなく、意識的に「深呼吸しながら歩く」、
ということを、とても大事にしています。

それをするとカラダがとても元気になり、
すんごいリフレッシュ効果があるからです。
なんでそんなにリフレッシュ効果があるのか?
これは自分にとっては、何よりもまず理屈以前の経験則です。
「ただ歩くだけ」では取れない疲れが、「深呼吸歩き」だと鮮やかに消えるし、
カラダがだるくて、歩くだけでは「歩くことの疲れ」が勝ってしまうような時でも、
深呼吸しながら歩くと、リフレッシュの方が疲れを呑み込んでいき、
疲れを押し流してくれます。
「目一杯吸って、目一杯吐く」、という呼吸を、
無理のないペースで、その時の身体の状態に合わせて、
(↑ここは大事です、自分は朝の場合、歩き始めて10~15分くらいで
息が深く吸えるようになることが多いです。
歩くうちにカラダが自然に緩んで、深い呼吸ができるようになります。)
歩きながら意識的に深く呼吸し続けると、やがて精気が蘇り、
元気と気力が回復してくれます。
なので、「呼吸」、という要素をとても大事にしているのです。

      *      *      *
それで、まずは深呼吸について考えてみました。
考えてみれば、単に酸素をたくさん吸い込むだけなら、
早い呼吸をたくさんすればいいですよね。
でも、それでは「過呼吸」になり、活性酸素をカラダに貯めることにもなるでしょう。。。

「深呼吸歩き」に限らず、古来からヨガや瞑想などで取り入れられている
一般的な「深呼吸」、について考えてみるならば・・・。
呼吸のペースは「なるべくゆっくり」、です。
ストレッチやヨガなどのリラックス系の深いトレーニングの中では、
深呼吸のペースをどんどん遅くして、
1分で1回くらいの呼吸、にしたりすることもあります。
となると、やはりその目的は、単に血中に酸素をたくさん入れることとは違う、
と考えられます。
吸入している酸素量、と言う意味では、
ゆっくりした呼吸にすれば、量は減っていくでしょうから・・・。

———だとすると、深呼吸とは、なぜカラダにいいのでしょうか?

というわけで、呼吸というものについて、
根本的なところから考え直してみることにしました。

(つづく)

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イオン漂う新鮮な空気は気持ちいい!!

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深呼吸の目的は「酸素をたくさん取り入れる」ではない・・・?!(その2)

・・・書きかけの途中のままで、更新の時間が長く空いてしまいました。
<(_ _)>
「くっそー、続きを書かなきゃなぁ!」、
という気持ちよりも、優先順位の高いことが複数積み重なって、
なかなか片付かなかったことが原因です。
しかし、「深呼吸歩き」自体は、ずっと変わらず日々続けています。
仕事の移動のルーティーンに組み込んでいるから、でもありますが、
今では自分の仕事のパフォーマンスに直結しており、
これからの人生の展開にとっての生命線の一つだと思っています。
それくらい重要で、実際の効果のあるものになっています。
肉体的にも、精神的にも(ストレス管理や気分の立て直し・切り替え、
日々の状態や気力のセットアップ等々)、これがあるのとないのでは、
自分の人生が全く違ったものになってしまうだろう、
と思うほど、日々の恩恵を受けています。。。
始めてからそろそろ7年になろうかというところですが、
継続は力、という言葉をつくづく実感しております。
そして、ここまで続けなくては分からなかったことがたくさんあります。
(それも、そのうち書いていきます。)

それでは、長い時間が空きましたが、前回の続きから書きます。

(前回の続き)
「深呼吸の目的」とは、単に酸素をたくさん取り入れること、
・・・・・・「ではない?!」

これはちょっと意外な話ではないでしょうか?
酸素をたくさん取り入れる、ということなら、
ランニング後のハーハーゼーゼー状態、つまり高ピッチの呼吸の方が、
カラダには遥かにたくさん、酸素を入れている筈だ・・・、
と思うわけです。

でも、深呼吸の場合は、
そんな風に急ピッチで酸素を送り込む呼吸ではありません。
ヨガなどでストレッチをしながらの深呼吸では、
30秒で1呼吸などは当たり前で、全然余裕です。
そしてそのゆったりした、しかし深ーい呼吸に、
カラダを緩めて癒していく深い効果があるのです。
こういうヨガや瞑想などの深呼吸については、また書きます。

「深呼吸歩き」は、かなり呼吸量の増える有酸素運動なので、
ヨガや瞑想などの完全リラックスによる呼吸とは違います。
でも、マラソンのように高負荷運動による強制的な呼吸ではなく、
「深呼吸」なので、過呼吸になったり、活性酸素を溜め込んだり、
ってことはないわけです。
日々、長く続けていく運動としては、そこがいいと思います。
バランスがとれているのではないか、と・・・。

前回、「どちらかというと、酸欠傾向」、と書いたのは、
これは実際に歩きながら深呼吸を続けてみると、分かることです。
しかしもう一つの理由は、ネットでアメリカのスポーツの最新研究の学者が、
その傾向の方がカラダの耐性が上がって望ましい、
と言っているのを読んだことがありました。
まあ、そっちの方は学者の意見であって、
自分が自分自身で理解していることではないので、
「ふーん、そうなのか(ホントかな)」、という程度のただの知識です。
ただ、深呼吸歩きを実際にやってみると、
確かにこれは過呼吸というよりは、酸欠傾向に寄るよな・・・、
というのはよく分かることです。
でも、何よりも最優先の重要事項は、
自分自身が快感を感じながら取り組むことなので、
心地よい感覚を目的にすることが重要だと思います。

無理は禁物です。
負荷をかけすぎていつのまにか、
ふと無意識にしんどさを感じるようになったりすることが、
一番やって欲しくないことです。
歩くことを、「快の時間」に保つことが重要です。
日々の生活の中では、時にはストレスに打ちのめされていたり、
気分の優れない日などもあります。(自分の場合ですが。)
そんな時でも、「深呼吸歩き」がリフレッシュの時間となり、
心の負荷なくルーティーンとして取り組めるようにしておくことが、
ずっと継続するコツでもあるかと思うからです。
そして、その「継続すること」がもたらす宝、というものが、
いかに豊かなものであるかを、実感しているので・・・。

(次回も呼吸についてです。)

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日々、気持ちよく呼吸しながら歩きましょう!

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